認知症があっても自分で決めて生きる。

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2017年に京都で開催された

国際アルツハイマー病協会

国際会議で、認知症の

当事者である丹野智文さんは、

「自立を考えるうえで

重要なのは自己決定をして

自分の過ごしたい生活が

できているかどうか、

自分らしい生活ができているか

というのがポイントです。

私たち当事者は、

守られるのではなく

目的を達成するために

支援者の力を借りて

課題を乗り越えることが

必要だと感じています」

と述べました。

「認知症があっても

自分で決めて生きる」との

大切さを認知症の人に

訴えたのです。

(おはよう21 

2021年4月号増刊

「認知症ケアの基本」から抜粋

 

私は特養で介護のお世話を

教えてもらいました。

しかし、「認知症があっても

自分で決めて生きる」という

当事者主体の考え方は

教えてもらえなかった

と思います。

いつも利用者のやることを

先回りして

「立たないで!」

「そこに座っていて!」

「さっきも言ったでしょ!」

と繰り返し

言ってきたような

気がします。

特養で花の好きなバーチャンが

いて、一緒に朝顔を

育てるというケアプラン

目標を立てたときは

介護職員からも

主任ケアマネからも

大バッシングを受けました。

結局、誰一人からも

協力は得られず、

バーチャンと二人で

中庭で朝顔に水やりをして

育てました。

花が咲いた時には

バーチャンと二人で

大喜びをしましたが

介護職員からは

「ケア記録に残しておいて」

と抑揚のない言葉だけもらいました。

私たち介護者の仕事は

ジーチャンバーチャン

への介護の

お世話ではありません。

宅老所昭ちゃん家では、

ジーチャンバーチャンが

出来なくなっている

部分に焦点を当てて

出来るように

支援すること、

困っていることを

見つけて

一緒に解決していく

ことで認知症が

あっても

普通の人として

生活していける

お手伝いが出来る

ようにしていこうと

思っています。

マラソンが好きな方のために

自分だけが走り、

当事者はビデオやテレビで

座って観ててということ

ではなく、

一緒に伴走して

一緒に走ることを楽しむ

そんな介護を

していかなければ

ならないのだな~と思っています。

そのためには

良い環境と良いケアの提供

が不可欠なんだなという

事もわかってきました。

トイレに行きたくても

場所がわからない方には

トイレの場所がわかるような

配慮をしたり

目が悪くて段差が

わからない方には

わかりやすく

ペンキで色をつけて

恐怖心を緩和したり

することも

有効ではないかと

工夫しています。

ジーチャンバーチャンたちとの

おしゃべりの中に

そのヒントが隠れています。

宅老所昭ちゃん家では

ジーチャンバーチャンたちが

スタッフに「ありがとう」と

言ってもらうのではなく

私たちスタッフが

ジーチャンバーチャンたちに

「ありがとう」と言う

機会を増やしていくことで

ジーチャンバーチャンたちが

昭ちゃん家の主人公として

生活できるように

なっていけば良いなーと

思っているのです。